『小樽の風景音楽』
鈴木惣一朗
Otaru Landscape Music
selected and written by
Sohichiro Suzuki
『小樽の風景音楽』
ぼくが生まれ育った街、静岡県の浜松市は、冬でも暖かい所でした。冷たい雪なんて触れたこともなかった。だから、進学して東京に住むようになったとき、天空から降る「それ」にひどく感激しました。大袈裟に言ってしまえば、ぼくの身体の中で何かが変わってしまった。ずっと抱いていた暖かい想い出も、やがては、冷たい雪や風と共にすり抜けてゆきます。そして、苦い想い出もまた、氷水の中へ溶けてゆく。言い換えれば、それは、ぼくが音楽から感じる、夢の風景と重なる。一度だけ訪れたことのある、小樽‥ぼくは大きな坂道をくだりながら、小樽は「人間の営みのすべてを、夢のようにしてしまう奇跡の街だな」と感じました。これから一年かけて、須田守政さんの美しい写真と共に巡ります。『小樽の風景音楽』、お楽しみください。
(鈴木惣一朗 a.k.aワールドスタンダード)

鈴木惣一朗
1959年、浜松生まれ。音楽家。83年にインストゥルメンタル主体のポップグループ「ワールドスタンダード」を結成し、85年に細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。「ディスカヴァー・アメリカ3部作」は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスからも絶賛される。デビュー35周年を迎えた2020年に10年ぶり12枚目のオリジナル・フル・アルバム『色彩音楽』を、続いて2021年に13枚目のアルバム『エデン』をリリース、同時に過去の全作品を全世界での配信を解禁。2022年4月には10年ぶりのライヴ「理想郷」を渋谷WWWで開催。アシッド&トラディショナル・フォーク、南米音楽、トーチ・ソング、ミニマル、サイケデリア、室内楽から民族音楽まで吸収した音楽性が、ジャンルと世代を超えて支持されている。2025年12月、デビュー40周年の記念碑的傑作アルバム『コモレヴィア』を発表した。
プロデューサーとしては、程壁(チェン・ビー)、南壽あさ子、ハナレグミ、ビューティフル・ハミングバード、中納良恵、湯川潮音、羊毛とおはな等、多くのアーティストを手掛けた。2013年、直枝政広(カーネーション)とSoggy Cheeriosを結成。
執筆活動や書籍も多数。95年刊行の『モンド・ミュージック』は、ラウンジ・ブームの火付け役となった。細野晴臣との共著に『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音を作ってきた』(DU BOOKS)。ビートルズ関係では『マッカートニー・ミュージック~ポール。音楽。そのすべて。』(音楽出版社)。「耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック」(DU BOOKS)などがある。
2025年7月、古い友人だった小樽出身の音楽評論家、長谷川博一氏の七回忌にあわせて開催された回顧展「追憶の長谷川博一」の一環として行われた小さな音楽フェスティバル「Little Otaru」出演のため、初めて小樽を訪れた。
ワールドスタンダードオフィシャルサイト:https://www.worldstandard.jp/
須田守政
札幌出身のカメラマン。大学生の頃からアルバイトとして写真スタジオでの経験を積み、卒業後広告会社に入社。 営業、制作ディレクターを経て35歳で広告代理店の札幌支社長に就任。 マネージメントも行いながら、プレイングマネージャーとしてプランニング、かつフォトグラファーも兼務。その後、かねてよりプランを立てていたフォトグラファーとしての仕事に専念。 2003年、現在所属の広告制作会社有限会社フィクスに入社。 数多くの広告制作物、ドキュメンタリー写真からミュージシャンのジャケット写真まで幅広く担当。
オフィシャルサイト:https://sudap.jp/

8月
「ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル」
歌・サミー・デイヴィス・ジュニア

普段、旅行には疎いのですが、夏に入る少し前、野球観戦のために北広島のエスコンフィールドを訪れました。いくつかの球場を知っているつもりですが、エスコンが放つ独特な空間には圧倒されました。大袈裟に言えば、まるでこの世ではないような感じ。かつての名作映画『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年)は不思議な声に導かれ、トウモロコシ畑に野球場を造ってしまう物語でしたが、主人公はその場所で亡き父親と再会します。つまり「この世とあの世をつなぐ場所」が野球場だったわけです。「ここではないどこか…」。スタジオで音楽を作っているときもそうです。自分の足元が消えてしまっているような、幽霊のような気持ちになってしまう。
夏なので、今回は少し怖いトーンでお送りしました。

7月
「ハウ・グラッド」
演奏・ダニー・グラシア(Reverend Baron)

アルバム・レコーディング直前、自宅の雑草を刈っているとき、うっかり人差し指を傷つけてしまいました。そのため、久しぶりに「ギターを奏でる」という日々から離れることとなり、楽器を奏でるということの尊さを改めて知ったわけです。
近年は、器楽中心のアンビエント音楽に集中しているわけですが、その奥深さ、その時間は、こころがふっと軽くなるような感じ。古い本を調べてみると、楽器を「奏でる」とは「かなづ」と書いてあります。その言葉は「かみ(神)」という言葉と「なづ(撫でる)」という言葉が合体している 。神を撫でるために、慰めるために、人間は古来から楽器を奏で、音楽というものを生んできたのでしょう。

6月
「キャノック・チェイス」
歌・ラビ・シフレ

小さい頃から雨の音が好きなので、梅雨の季節はちょっとうれしい。そして大人になって、雨と涙のイメージは自分の中で重なった‥。そんなことばかり言っていたら、ファンの方から「鈴木さんの音楽は泣いています。何故ですか?」と聞かれました。ぼくは、大真面目に答えます。「音楽の根本的なテーマは、亡くなった人や存在しなくなった街、記憶のようなものを弔うことじゃないかな」。自分で音楽を作る理由なんて、本当にそんなことばかり。
さらには別の方からもこんなことを言われました。「わざわざ悲しい音楽を聴く理由なんてないはず。楽しい気持ちになりたくて聴いているんです」。異論はありません、ぼくも楽しい気持ちになりたくて音楽を作っているんです。
でも作家としては、悲しいメロディを思いっきり作ることで、それが得られる。こうも言えます。「人間は、どちらかと言えば悲しいほうに出来ている」と。だから、涙を流せば笑顔になる。悲しいほうは慈悲の世界です。
人間って、そこで、なんだかんだ言いながら生きているんじゃないでしょうか。

5月
「サウンド・オブ・サイレンス」
歌と演奏・サイモンとガーファンクル

皐月(さつき)は、自分の誕生月でもあるので特別な気持ちになります。そして、陽気もいいので、あっちこっちを散歩します。近所に大きな公園があるのですが、30年近く歩いているので、ほとんどの道を覚えてしまった。なのに、知らない道を見つけ てしまう。獣道のようで、人が歩むことのない道です。道は大抵ふたつに分かれていて、両方の道を進むわけにはいかないので、少したたずむ。そして、草ぼうぼうで、誰かが通るのを待っていたような道を、ぼくは選ぶのです。枯れ葉の上には足跡ひとつ見えません。「もうひとつの、きれいな道は次の機会にしよう」と思うのですが、再び歩むことはない。こうした日常の澱のようなものが、ギターを持って作曲をするときに、ぼくに訪れます。音楽の道は険しく、細かく分かれていて、すべての道を進むわけにはいかない。その時、ぼくは草ぼうぼうで、誰かが奏でるのを待っていたような音を選びます。それは、不協和音であったり、歪んでいたり‥見向きもされない響き。その音を歩むときは、少し強い自分になれたような気がします。音楽のおかげで、自分というものを乗り越えたような気がするんです。

4月
「イン・マイ・ドリームズ」
演奏・ビル・フリゼール

枕元には眠るための書籍が積んであって、ちょっと難しい本も読んだりし ます。その中で好きなのが孟浩然(もうこうねん)の漢詩。冒頭に「春眠暁を覚えず(しゅんみん・あかつきを・おぼえず)とありますが、なんとなく許されたような気持ちになって、春は、よく眠るのです。長い時間、眠ると、オムニバス形式の夢を見ます。その印象は美しいもので、ついつい寝過ごしてしまう。メロディが聴こえてくる場合もあります。すぐに「曲にしてしまおう」と思いますが、作業に入ると、さっぱりと思い出せない。夢の中では、素敵な音楽のように聴こえたのですが‥そうではなかった。夢の風景が、音楽の「在り方」に近いと感じたのでしょう。こんな風に、音楽ではないのだけれど、音楽のように聴こえるものって、日常にいっぱいあります。春の初めの若い匂い/夏の雨垂れの音。秋の枯れ葉が転ぶ様子/寒い冬、しんしんと降る雪。ぼくたちの日常は、素晴らしい音楽に包まれていると感じます。

3月
「僕の歌は君の歌」
歌・エルトン・ジョン

引き絞られた弓につがえられた矢のように。「静」から「動」へと変容するエネルギーのような もの‥それが、冬の終わりから、若い春へと向かう息吹の中に隠れています。自然の、そうした大きなものに気づき始めるきっかけは、ぼくの場合、いつもポップ・ミュージックでした。この曲を初めて聴いたのは、1971年の冬。ぼくはまだ中学生で、ビートルズもよくわからなかった。けれども、深夜ラジオから流れた、初めて聴くイギリス人の歌に、すなおに、こころ打たれました。何も知らない思春期ならでは‥の感動だったのです。「何も知らない」からこそ、自分は「何かを知った」気になりました。翌日、坂道を下り、急いで街のレコード店に走ります。この歌は特別なのだから、そのシングル盤を、絶対に手に入れなければいけない。タイトルは「僕の歌は君の歌」でした。音楽に対するぼくの気持ちは、「静」から「動」へと変容しました。そして走って、走って、プロの音楽の世界へと飛び込みました。あれから半世紀近い時間が流れましたが、折に触れ、この曲は聴きたくなります。「何かを知った」今でも。何度も何度も。ぼくは、この歌を聴くのです。

2月
「激しい風と白い空」
歌・ブルース・コバーン

高校時代、街の繁華街に「紳士服のタカキュー」という老舗の洋品店があって、よく覗いていました。でも、それは服を買う目的ではなく、雑居ビルの階段を上った先に、無造作に置かれたダンボール箱があったからです。箱の中には、古いレコード盤が乱暴に投げ込まれていました。洋品店の方は、誰かに頼まれて仕方なく預かったのだと思いますが、ぼくにとっては宝の山でした。一枚、どれも500円ほどだったと思いますが、日曜日になると、ぼくはそこに通い、名も知らぬ音楽家のレコード盤をたくさん買いました。奇跡的に、そのほとんどが素晴らしい内容だった。「ぼくの音楽:冬」などと、勝手に呼んでいましたが、そこで、エリック・アンダーソンの『ブルー・リヴァー』、ランバート・アンド・ナッティカムの『アット・ホーム』、ジョニ・ミッチェルの『ブルー』などのアルバムと出会いました。決定的だったのが、ブルース・コバーンの名盤『雪の世界』。ぼくが購入したものは国内・中古盤で、解説はシンガー・ソング・ライターの中川五郎さんが書かれていて、帰宅後、取り憑かれたように聴き、一晩中、五郎さんの対訳を読み込みました。そして朝を迎え、ぼくは「はっ!」としました。浦島太郎のように、年をとってしまったのです。ブルースさんの「雪の音楽と言葉」が、ぼくを青年から老人に変えてしまったのでした。





